©2009 関 健一        索引に戻る

界隈
 明治13年当時のイメージを伝える場所を尋ねた

 

そこで末造には (中略) 蓮玉で蕎麦を食ふ位が既に奮發の一つになってゐて

貳拾參

「蓮玉へ寄って蕎麦を一杯食って行こうか」と、岡田が提議した。
 僕はすぐに同意して一しょに蓮玉庵へ引き返した。其頃下谷から本郷へ掛けて一番名高かった蕎麦屋である。

 蓮玉庵は当時と場所こそ代わり、不忍池から1本南へ引っ込んだ仲通りで盛業中である。

 

 雁には出てこないが、不忍池に面して柘植の櫛の「十三や」が今もやっている。元文元年(1736)の創業だというから、雁の頃も確かに営業していたのだろう

 


 此頃は夜も吹抜亭へ、圓朝の話や、駒之助の義太夫を聞きに行く事がある。寄席にゐても矢張娘が留守に来てゐるだらうかと云ふ想像をする。

 当時は町内ごとに寄席があり庶民の娯楽の中心だったらしい。今も不忍池の南には鈴本という寄席がある。

 

拾肆

 いつか藤村へ、子供の一番好きな田舎饅頭を買ひに往った時

貳拾

 お玉は小鳥を助けて貰ったのを縁に、どうにかして岡田に近寄りたいと思った。(中略)藤村の田舎饅頭でも買って遣ろうか。

 藤村は今も本郷3著目交差点の少し東にお店があるがここ10年以上休業している。お店の前はちゃんと掃除をされているのだか。以前何度もここの名物黄身時雨を買って帰った記憶がある。

 

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