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無縁坂

無縁坂は東大の鉄門をでて左に行くとすぐの急な坂で、不忍池の南西側でる。坂の上から見て今も右側は旧岩崎邸の石垣と煉瓦塀が続いている。お玉の家は逆の左側にあったのだろう。その家の前で蛇騒動の時岡田と出会うことになる。
 この坂はさだまさしの歌でも有名になった

 

 その頃から無縁坂の南側は岩崎の邸であったが、まだ今のような巍々たる土塀で圍ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、苔蒸した石と石の間から、歯朶や杉菜が覗いてゐた。

 今一つは無縁坂の中頃にある小家である。(中略)どことなく住心地がよさそうである。入口の格子戸から、花崗石を塗り込めた敲きの庭まで、小ざっぱりと奥床しげに出来ている

とうとうお玉が無縁坂に越すと同時に、兼て末造が見て置いた、今一軒の池の端の家に親爺も越すといふことになった。

 現在は岩崎邸の塀は煉瓦作りに立派なものである。しかし、今も片側町で何とはなしに寂しい印象がある。

 

 

 

 雁の文章には出てこないがこの辺りの建物で小説の時代にあって残っているものはこの講安寺だけだろう。珍しい土蔵作りの本堂は18世紀のもの、庫裏は寄進札から文久元年(1861)に建てられた。

 

 

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