2003年7月X日 能”巴”を見ました

 国立能楽堂で能”巴”を見ました。席は正面最前列、間近なので謡は良く聞こえるし、華やかな能装束の細かい柄まではっきりわかって楽しかった。喜多流のシテの粟谷能夫が50代の他はワキ、間狂言、笛、小鼓、大鼓がいずれも30代でいつもと違った緊張感のある舞台でした。特に間狂言は力がみなぎっていました。
 平家物語巻九の木曽最後によると、義仲は近江の粟津で範頼義経軍に攻めたてられ最後の五騎になった時、巴を戦場から落ちのびさせる。謡曲”巴”では、その時一緒に討ち死にできなかった巴の執心が亡霊として、粟津を通る木曽からきた僧の前に出現することになります。 巴は前シテでは巫女として現れ悲しみと執着の表情をみせますが、中入後、迫力ある地謡に乗って登場する姿は爽やか、衣装は白と橙の段に金糸の唐織を壺折にして、大きく見える襟の内側は輝く銀、力強くかわいらしく京の御所人形か五月人形のような印象、修羅の悲しみというより、若さとを賛美しているようです。”林望が能を読む”によると烏帽子大口袴のこの姿は当時の人には白拍子の姿と二重写しになっただろうとあります。先行芸能の魅力をそのまま使っているのかもしれません。
  巴は男性が女面をかぶり、女性なのに男性的な武者を演じるところが、宝塚でのベルサイユの薔薇のオスカルが、女性が男装の女性を演じるのに似て、不思議な倒錯感も感じます。ジャンヌ・ダルク程の悲劇性は無いかもしれないけれど、美しい女武者には東西を問わず怪しく惹かれるものがあります。 ところが、義仲が自害した後、その形見の白の小袖に橋がかりと舞台の境で着替え笠を持つ姿になると、肩を落として力無く橋がかりを揚幕へ、この圧倒的な対比が印象深い。以前見た、ピーター・ブルック演出のシェークスピアのテンペストの最後、マリのソティギ・コーヤテの演じるプロスペローが最後の言葉を語った後に、威厳ある王から弱い普通の人間に一瞬にして変わったシーンの感動を思い出してしまった。
 能は当時の仏教的な世界観を背景にしているのだろうが、インドでの仏教には転生の思想はあっても、執着により亡霊となる事はあるのだろうか。むしろこれは、中国の道教的考え方、死者の亡霊は地上をさまよい鬼となるに近いものではないのか。”鬼”は中国では死者の亡霊をさし、桃太郎に出てくるような日本の鬼とはだいぶ違うことは、清初の怪異小説集、大好きな聊斎志異を読むと実感する。上代の日本の考え方では、今でも琉球の神様には生きているけれど、神や死者や荒ぶるものは、特定の季節や、ある状況で、海とか山とか遠くからやってくるものだった。そうでなく、地に縛り付けられて出現する能の亡霊は、今昔物語の知っているの三つの世界、天竺震旦本朝の宗教、仏教道教神道の融合されたものから生まれたと思われてならないのだが。

©Seki Kenichi    index  BBSにメッセージを