富田林 その1   寺内町の町並み 1

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 1560年、京都の真宗寺院興正寺の証秀上人が大阪府南部の荒地を高谷城主安見美作守から百貫文で購入し、周辺4ヶ村の8人の庄屋衆の協力で翌年別院を建てた所から始まります。興正寺別院(御坊)を中心に8人衆の合議制で寺内町がつくられました。当時は戦国時代なので周囲には壕と土塁を巡らせていました。町の規模は南北約320m東西400mで、南北に筋と言われる道路が7本、東西に道と言われる道路が8本つくられました。
 石山本願寺が信長に打ち負かされた後は真宗以外の人も増え、江戸時代には天領として酒造、木綿、呉服、材木等の産業が栄えました。元禄から文化年間(18世紀初めから19世紀初め)の豪壮な商家がたくさん残っています

富田林 01 ©Seki Kenichi
(北)越井家住宅
越井家は屋号は「平尾屋」材木商を営みました、(北)越井家はその分家筋

 

富田林 02 ©Seki Kenichi
田守家は屋号を「黒山屋」といい木綿屋を営んでいました
城之門筋の堺町(南)側から見る土蔵は手前から衣裳蔵、米蔵、木綿蔵と並んでいます

 

富田林 03 ©Seki Kenichi
越井家住宅

 

富田林 04 ©Seki Kenichi

 

富田林 05 ©Seki Kenichi

 

富田林 06 ©Seki Kenichi

 

富田林 07 ©Seki Kenichi

 

富田林 08 ©Seki Kenichi
仲村家住宅 屋号は「佐渡屋」18世紀はじめから酒造業を営んでいた
寺内町八人衆を勤める家 母屋は18世紀終わり後のの建造
文人墨客を良くもてなし、吉田松陰もここを訪れたことがあるそうだ

 

富田林 09 ©Seki Kenichi
仲村家住宅

 

富田林 10 ©Seki Kenichi
仲村家住宅

 

富田林 11 ©Seki Kenichi

 

富田林 12 ©Seki Kenichi

 

富田林 13 ©Seki Kenichi

 

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