江戸川の四つの橋は後述するように五軒町から江戸川に出て三千代の家のある伝通院方面に引き寄せられているすれば 石切橋 前田橋(現在の西江戸川橋)小桜橋 白鳥橋だと考えられる。
揚場町は飯田濠の荷揚げの場所であった。祖母はここで船に乗って神田川 日本橋川を通り日本銀行の横で船を降り三越百貨店に行ったそうだ。今はビル街で全くその面影はない。
大曲から江戸川(現在の神田川 江戸時代飯田橋までは江戸川とよばれていた、私の中学時代もこの川は江戸川だった)沿いに下流に歩き飯田橋交差点に着くと右側が揚場になる。筋違いに毘沙門前に出るのは揚場町から軽子坂をあがって途中で左に折れればよいので、若い頃この道を毎日のように歩いた。 |
それから 11
散歩のとき彼の足は多く江戸川の方角に向いた。桜の散る時分には、夕暮の風に吹かれて、四つの橋を此方から向うへ渡り、向うから又此方へ渡り返して、長い堤を縫う様に歩いた。
ある時彼は大曲の所で、電車を下る平岡の影を半町程手前から認めた。彼は慥にそうに違ないと思った。そうして、すぐ揚場の方へ引き返した。
それから 16
帰りには、暑さが余り酷かったので、電車で飯田橋へ回って、それから揚場を筋違に毘沙門前へ出た。
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