代助の住んでいたのを牛込袋町か牛込北町とすると東西五軒町から新小川町のあたりを通って江戸川をわたり安藤坂を上がって三千代の住む伝通院の近くに到着する。五軒町のあたりは印刷関係の町工場が多かったが今はだいぶ減って跡地がマンション担っているところが多い、
大曲から安藤坂に直接通じる道は当時なく、その西側の道を上がったのだろう。
「それから」の連載される前年の明治41年(1908)伝通院は大火で焼け落ちている。
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それから 8
代助は晩食も食わずに、すぐ又表へ出た。五軒町から江戸川の縁を伝って、河を向うへ越した時は、先刻散歩からの帰りの様に精神の困憊を感じていなかった。坂を上って伝通院の横へ出ると、細く高い烟突が、寺と寺の間から、
それから 14
約二十分の後、彼は安藤坂を上って、伝通院の焼跡の前へ出た。大きな木が、左右から被さっている間を左りへ抜けて、平岡の家の傍まで来ると、板塀から例の如く灯が射していた。 |