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Vol.3

 新見附は明治の中頃につくられた新しい橋で牛込から渡ると左側に招魂社(現靖国神社)の森が見えて来る。濠の横には甲武鉄道の電車が走っていたが明治39年(1906)に国有化されて中央線になった。

 

それから 11
新見付へ来ると、向うから来たり、此方から行ったりする電車が苦になり出したので、堀を横切って、招魂社の横から番町へ出た。そこをぐるぐる回って歩いているうちに、かく目的なしに歩いている事が、不意に馬鹿らしく思われた。

新見附

 

 代助の住んでいたのを牛込袋町か牛込北町とすると東西五軒町から新小川町のあたりを通って江戸川をわたり安藤坂を上がって三千代の住む伝通院の近くに到着する。五軒町のあたりは印刷関係の町工場が多かったが今はだいぶ減って跡地がマンション担っているところが多い、

 大曲から安藤坂に直接通じる道は当時なく、その西側の道を上がったのだろう。

 「それから」の連載される前年の明治41年(1908)伝通院は大火で焼け落ちている。

それから 8
 代助は晩食も食わずに、すぐ又表へ出た。五軒町から江戸川の縁を伝って、河を向うへ越した時は、先刻散歩からの帰りの様に精神の困憊を感じていなかった。坂を上って伝通院の横へ出ると、細く高い烟突が、寺と寺の間から、

それから 14
  約二十分の後、彼は安藤坂を上って、伝通院の焼跡の前へ出た。大きな木が、左右から被さっている間を左りへ抜けて、平岡の家の傍まで来ると、板塀から例の如く灯が射していた。

五軒町

 

安藤坂

 

伝通院(でんつういん)

 

 谷中清水町(下谷区清水町)は地下鉄千代田線根津駅に程近く上野の山の南西の麓に当たる。東京大学本郷キャンパスにも近く学生が住むにも向いていたのかもしれない。いまでも小さな路地が多くその間に井戸が活きていて不思議な印象のまちだった。

 

 

 

 

それから 7
 菅沼の家は谷中の清水町(台東区池之端4丁目)で、庭のない代りに、椽側へ出ると、上野の森の古い杉が高く見えた。

それから 14
 「兄さんと貴方と清水町にいた時分の事を思い出そうと思って、なるべく沢山買って来ました」と代助が云った。

 三千代が清水町にいた頃、代助と心安く口を聞く様になってからの事だが、始めて国から出て来た当時の髪の風を代助から賞められた事があった。

谷中の清水町

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