美濃市美濃町 その1 町並み

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 岐阜県美濃市美濃町は明治末年までは上有知(こうづち)とよばれ室町時代以来の交通の要地でした。17世紀はじめに金森長近は関ヶ原合戦の功により徳川家康から上有知を与えられ、長良川河畔の小倉山に城を築き山麓に城下町をつくりました。長近ははじめ織田氏に仕え賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉側につき,その後飛騨一国を与えられました。その中心である高山の町並みの骨格は彼による物ですが、上有知も高山によく似ています。

 1615年上有知は尾張徳川領となり、長良川の川湊である上有知は交通の要地として、和紙を木材等をあつかう商業町として発展していきました。明治の終わりに鉄道が開通すると川湊は廃止され町は徐々に繁栄を失っていきます。

 美濃町の商家は卯建(うだつ)で知られています。元は防火の為のものが建物の装飾に変化し華やかになってゆきました。江戸時代から明治にかけての卯建を残す家が19棟残っています。

 

美濃町 1-1 ©Seki Kenichi
武藤家 関から刀鍛冶として移り住みその後刃物金物を商った 江戸時代末の建築

 

美濃町 1-2 ©Seki Kenichi
左加藤家 中央低い屋根が松久達三家 その右が松久永助家 (旧江富屋旅館)

 

美濃町 1-3 ©Seki Kenichi
左高い屋根が加藤家 中央低い屋根が松久達三家 その右が松久永助家 (旧江富屋旅館)

 

美濃町 1-4 ©Seki Kenichi
松久家

 

美濃町 1-5 ©Seki Kenichi
大石家

 

美濃町 1-6 ©Seki Kenichi
大石家

 

美濃町 1-7 ©Seki Kenichi
常盤町小坂家住宅は江戸時代中期の建築 当時は質屋、味噌醤油、材木、雑穀等を家業としていた

 

美濃町 1-8 ©Seki Kenichi
常盤町小坂家

 

美濃町 1-9 ©Seki Kenichi
武藤家

 

美濃町 1-10 ©Seki Kenichi
武藤家

 

美濃町 1-11 ©Seki Kenichi
手前 平田家 明治から大正初期まで炭と米を商っていた 先 古川家

 

美濃町 1-12 ©Seki Kenichi
魚屋町通り

 

美濃町 1-13 ©Seki Kenichi
大石家

 

美濃町 1-14 ©Seki Kenichi
鈴木家(北)

 

美濃町 1-15 ©Seki Kenichi
左 平田家 右 古川家

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