©2004 関 健一

神楽坂毘沙門天

    ”婦系図” 前篇 鯛 比目魚 一

  既に昨夜も、神楽坂の縁日に、桜草を買つた次手に可いのを千って撰つて、晝夜帯の間に挟むで帰った酸漿を

 五の日に神楽坂の毘沙門天の縁日はあります。私の小学生時代の昭和30年代は坂の下までずっと夜店がならんでおり、バナナのたたき売りや、金魚すくいなどの思い出があります。今では露店もお寺の前に少しで寂しいですね。

 

料亭 うを徳

  

    ”婦系図” 前篇 鯛 比目魚 一  二

 来たのは江戸前の魚屋で。

 盤台を肩にぬいと立った魚屋は、渾名を(め組)と称える、名代の芝ツ児

 物語の狂言回しの魚屋は「め組」「めの字」「めのさん」「め組の惣吉」「めの惣」といろいろに呼ばれています。
 神楽坂の料亭「うを徳」の初代ご主人がそのモデルと書いたものを読んだことがあります。

 

 

牛込見附

 

    ”婦系図” 前篇 鯛 電車 三十五

 水道橋から外濠線に乗った時は (中略) さて、神楽坂で下りて、見附の橋を、今夜に限って、高い處のように、危つかしく渡ると

  現在JR飯田橋駅を西口から出ると見附の橋にあたる牛込橋の上に立ちます。都電の外濠線が走っていた頃は停留所の名前が牛込見附でしたが今はその地名を知る人も少なくなってしまったのでしょうか。橋の上から市ヶ谷方面 を見るとお濠の左には法政大学、右には理科大学の高いビルが見えます。

 

飯田町界隈

    ”婦系図” 前篇 はなむけ 五十七

 えゝ、先刻も飯田町の、あの早瀬子の居らるゝ路地を、私通りがかりに覗きますると、何か、魚屋体のものが、指図をいたして、荷物を片付け居りまする最中。

  旧甲武鉄道(現JR中央線)の始発駅飯田町駅は、貨物駅になっていましたが、今は再開発でビル街に変貌中。路地に植木を並べていた30年前の面 影はほとんど無くなってしまいました。

 

南町

北町

    ”婦系図” 前篇 鯛 比目魚 三

「むゝ、河野ツて。何かい、あの南町のお邸かい。」

    ”婦系図” 前篇 鯛 新学士 十三

 南町の邸は、祖母さんが監督に附いて、英吉が主人で、三人の妹が、それぞれ学校に通 って居るので

 ”婦系図”の敵役、河野英吉は牛込区南町に住んでいます。ここは鏡花旧居から歩いて10分足らず、物語で主人公早瀬主税が住む飯田町からも20分足らずです。後篇になるとお邸が北町になったり混乱しますが、私の住む北町と南町は2,3分の距離、今も北町より南町の方が御屋敷町に感じます。
 この辺は震災戦災の両方を受け古い家は少ないのですが、まだマンション化されず昔の風情を残す家もあります。
 北町にある愛日小学校は明治13年(1880)創立、祖母も私も通いました。 

 

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