©2005 関 健一

 三月梅の花が散らないうちにと、Yokoさんと泉鏡花の”婦系図”(明治40年 1907)ゆかりの地を歩きました。鏡花の作品では”歌行燈”が好きで何度も読みましたし、”日本橋”も登場人物の動きが手に取るように見えて気にいっています。しかし、湯島天神でお蔦が主税に「切れるの別 れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ。・・・・・私にゃ死ねと云って下さい」のせ名せりふで人口に膾炙した”婦系図”は読んだことがありませんでした。しかし、読んでビックリです。湯島社頭のせりふは”婦系図”の原作にはなく、新派で舞台化されたとき(明治41年 1908)脚色者の柳川春葉とお蔦を演じた喜多村緑郎の2人によって付け加えられたもの、鏡花も戯曲”湯島の境内”(大正3年 1914)でこのシーンを書いてはいるのですが。
 通して読むと ”婦系図”は前後編で全く様相を変え、静岡での後編は筋において破綻しているように感じます。しかし場面 場面の美しさと会話の気持ちの良さが印象に残りました。今回は前編を中心に歩いてみました。

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