私の読書 2012年のベスト10

第1位
ダニエル・エヴェレット ピダハン

 著者はピダハンと言う民族の言葉に聖書を翻訳するためその村に家族で暮らし言葉を学んだ
 その言葉は世界のどの言葉とも違っていた。まず数を表す単語が存在しない。だからとていって数の概念が無いわけでなない。著者は「言葉無ければ概念が無い」と言う説はあやまっていると主張する。また左右と言う単語は無い。ものの方向は相対的に表現せず、川の上流側、下流側と言うような絶対的な方向の表現しかしない。関係代名詞も持っていない。逆に動詞の活用形は16種類の接尾辞をいくらでも組み合わせてつけられるので変化は膨大になる。ここにはチョムスキーの生成文法説と矛盾する言葉が存在すると著者は主張し説得力が有る。
  中でも著者が衝撃受けたのは彼らが現在暮らしている時間の事にしか言及しない事だった。ここでは過去の事についてはほとんど語られない。その結果完了形は出現しない。当然神話もない。伝聞も直接知っている人の伝聞しか受け入れない。そうなると聖書の翻訳自体が無理だし、たとえ出来たとしても受け入れられる素地が全く無いと言う事に気づくのだ。
 言語に限らずピダハンの文化には我々の知る文化とは全く違う規範が有ることがわかり、今まで人間とはこういうものだと思っていた事の常識が揺るがされる。同時にあまりに明るい彼らの行き方に魅了される。

第2位
渡辺京二  黒船前夜

 江戸時代、北海道をめぐるアイヌ民族、松前藩、幕府、日本商人、ロシア商人、ロシア政府の関わりを資料を丁寧に読み込んで冷静にそして公平に解き明かしている。
  当時国家の農業の出来ない所に領域を広げる意図は日露ともに無かったこと、日本の関心は水産物、ロシア側は毛皮、それに伴う商船への水食料燃料等の補給等が必要なものであった。またアイヌにとっては交易で得られるものが最大の関心であったようだ。幕末にいたる幕閣の対応の変化もとても興味深い。
  エトロフとウルップの間の海峡が日露の影響力の境界ではあったがそこはアイヌの土地でもあったのだ。

第3位
前田哲男 戦略爆撃の思想

 一般市民を標的にする戦略爆撃はナチスによるゲルニカ爆撃がその端緒であった。その後日本海軍を中心とする2年に渡る重慶爆撃によって大々的なものとなった。この地に駐在いた米軍顧問将校により、木造家屋に対する焼夷弾爆撃の有効性が確信され日本爆撃の準備がなされるようになった。
  この重慶爆撃を詳しく日中両サイドの資料を使って詳しく描いている。日本軍はこの爆撃によって中国を屈服させられると狙ったのだがそれは果たせなかった。しかし、その後英独による相互への戦略爆撃、その後の日本空襲、原爆投下、ベトナム北爆へと続いてゆく。
  米軍はヨーロッパにおいては軍事目標のみを叩く戦術爆撃しか行っておらず、イギリスのみがドレスデンを頂点とする戦略爆撃をおこなっていた事、日本軍はハワイににおいては慎重に民間目標を避けて爆撃したのだが、中国においては事実上の無差別爆撃をおこなっていたとの指摘は鋭い。

第4位
トーマス・マン 魔の山

 大学時代ドイツ史専攻の友人に面白いといわれ古本で文庫4冊をまとめて買ったのだが1冊目も終わらす挫折、40数年ぶりに再チャレンジしたら面白くてやめられなくなった。 前半ではうぶな主人公の女性に対する戸惑いが詳細に描かれている。目のつり上がった東洋的な美女がその対象だが他のトーマス・マンの短編にも同じタイプの女性が描かれていて著者の好みを具現化したものかとちょっと微笑ましい。後半は一転、いろいろな思想のバトルが登場人物によって闘わされ主人公はその中で戸惑って行く。たっぷり理屈っぽくそれがたまらなく面白い。
  終わり近くに登場するペーペルコルン氏は内容も不明瞭、結論もない話をしながら周り人を安心させ心服させるカリスマ性にあふれているのだかその造形には説得力を感じる。ポピュリズム、ファシズムとも繋がる心地よさと危険性を見事に描いているようだ。
 50年前の翻訳だが、差別語だとして今は追放された言葉がそこかしこに使われている。漢語や英語に置き換える事で差別に対して本当に意味が有るのか、こんなにもすぐ言葉を変えられるのか疑問がよぎった。

第5位
三野正洋 働かないアリにも意義がある

 働き者の代名詞が働きアリだが、しっかりと調べると通常は半分のアリは働いていない。そこでその働かないアリを巣から取り除くと、残りの半分はまた働かなくなる。この意味を説き明かしてくれるところがとても気持ちよい。驚かされる科学の本を読むのは気分転換には最適だががそれにぴったりの本だった。もう少し詳しく書いて欲しかった所も有るが。

第6位
伊藤聡 神道とは何か 神と仏の日本史

 知人の著作、神道の曖昧さに興味が有りそれなりに神道についての本も読んで来たが、この本は新書とも思えぬ濃厚さが詰まっていてその全体像を見せてくれて面白かった。
 多くの古文書からの引用も興味深い。本地垂迹説の隆盛の中でも平安時代以降、伊勢神宮には僧尼は参拝できなかったし神官は仏事を憚らなければならなかった。その中で神官が自分自身の死後の救済に悩む文書が引用されていて、仏教が当時持っていた意義について実感できた。
 国土感と神話」の章では、「粟散辺土」に代表される日本の国土感について私自身が卒論でテーマとしたので、この言葉の初出が917年と言う記述があって、40年前の知見より200年以上さかのぼっていて驚いた。

第7位
伊勢崎賢治 武装解除

 きれいごとでは済まない内線の武装解除、悪党をも平和の担い手として立てないと内線は終わらないし武装解除も出来ない。正義を優先してばかり入られない状態の中で現実的に平和を取り戻す仕事をしている著者のリアルなやりかたがとても痛快に感じられる。その一方日本の外務省やマスコミは組織の制度として危険な所では働かせない行かせないという状態があかされ唖然とさせられる。

第8位
フラバル 厳重に監視された列車

 小説らしい小説。冒頭からチェコらしいリアルで少々グロテスクのユーモアにあふれていて、その上美しく悲しい。クンデラにくらべると絶望感が薄い分だけ悲しみがつきささる。

第9位
池田健二 イタリアロマネスクの旅  カラー版中公文庫の「ロマネスクの旅」イタリア・フランス・スペインの3部作はいずれも美しい写真と詳しい解説で旅心をそそる。全部で74カ所紹介してるが行った事の有るのは僅か18、この倍は行きたいしイタリア南部に特に心を誘われる。各寺院の記述を読のでいると再訪したくなるし罪作りだ。
第10位
中村敦彦 デフレ化するセックス

 セックス産業の立地とそこで働く女性の容姿の質と働ける場所、そしてその月収を具体的に詳しく記述している。そしてバブル以来その収入は下がる一方であると指摘、さらにこの産業でも就職は難しくになりつつ有ることを明らかにしている。以前は社会性の低いドロップアウトした人の受皿でもあった業界が、今ではそういう人間をはじいていル様も描かれている。
  著者はAV女優のリアルインタヴュ−で著名な「名前の無い女」シリーズの著者でそれも何冊か読んだが、その初期のものには悲惨のデパートのような女優の話しかなかった。それが現状では仕事としてAV女優に入ってくるしっかりとした女性が多いと書いている。どちらにしろ衝撃の内容である。

番外
JPS Q&Aで学ぶ写真著作権

 友人が執筆者の1人。写真の著作権についてバランス良く記述されとても有用。まだ曖昧な点についてはその旨書いてあり信頼できる。

   ここ数年で一番本を読まなかったが一番本を買った年だった。2013年は買わずに読もう。

 

2002

©Seki Kenichi